神奈川県川崎市川崎区に残る昔を偲ぶおすすめ史跡を紹介!
物件検索はこちらをクリック↓
川崎市は、神奈川県の北東部に位置する政令指定都市です。
古くは東海道、中原道や大山道などが南北に通っており、その宿場町として栄えた歴史をもっています。
そのため、さまざまな史跡や寺社などが現在も数多くのこされています。
そこで今回は、とくに川崎市川崎区にお住まいを検討されている方に向けて、川崎市川崎区に位置する史跡について、くわしくご紹介します。
川崎市川崎区にあるおすすめ史跡「畑家墓所と頼政塚」
初めにご紹介する「畑家墓所と頼政塚(はたけぼしょとよりまさつか)」は、川崎区小田に位置する史跡です。
畑家とは、鎌倉幕府を討ち滅ぼすために挙兵した新田義貞の4人の重臣の1人、大太刀をふるう大男として「太平記」で描かれた「畑六郎左衛門時能」の末裔とされています。
新田義貞の4人の重臣は、後に「新田四天王」と称され、現在川崎区小田周辺では、この新田四天王に関する伝承や塚が多くみられます。
また墓所境内には、平安時代末期、平家追討に立ち上がった源頼政の塚があります。
●所在地:神奈川県川崎市川崎区小田1-20-25
●営業時間:なし
●定休日:なし
●交通アクセス:川崎駅よりバス「京町」下車 徒歩7分
●駐車場:なし
川崎市川崎区にあるおすすめ史跡「小土呂橋(の)親柱」
次にご紹介する「小土呂橋(の)親柱(擬宝珠)(こどろ/ことろばしのおやばしら)(ぎぼし)」は、川崎区小川町に位置する史跡です。
親柱とは、手すりや欄干(らんかん)を支える太い柱のことを指し、擬宝珠はその柱の上に設けられる飾りのことを指します。
現在の新川通りは、江戸のはじめに開削された「新川堀」が流れ、東海道と交わる場所に石造りの「小土呂橋」が架かり、交通の要所としてにぎわいを見せていました。
その後、輸送路の機能の拡充と大恐慌による失業者対策として新川堀と小土呂橋は埋め立てられてしまいましたが、高さのある小土呂橋の親柱は残ったのです。
橋の名残は今、バス停や信号の名に見られるばかりですが、この先にあったいくつかの橋のうち、昔の流れに沿って「新川橋」「さつき橋」は今もその名をとどめています。
なお、昭和60年に発掘され、市教育委員会によって調査・復元された小土呂橋の遺構は、現在、稲毛神社境内に鎮座しています。
●所在地:神奈川県川崎市川崎区小川町14-1(新川通り歩道)
●営業時間:なし
●定休日:なし
●交通アクセス:JR川崎駅より徒歩5分
●駐車場:なし
おすすめ物件情報|川崎市川崎区の土地一覧