京浜工業地帯にある横浜市鶴見区!その歴史と今を徹底解説!
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日本有数の工業地帯である京浜工業地帯に位置する横浜市鶴見区。
近年では、工業地帯としてだけでなく、ウォーターフロントとしても注目されています。
今回は、そんな京浜工業地帯の歴史、さらに横浜市鶴見区のウォーターフロントの現状をご紹介します。
ぜひ最後までお読みください。
京浜工業地帯の生みの親である浅野総一郎とは?横浜市鶴見区の歴史を考察
京浜工業地帯の生みの親と言われる浅野総一郎は、1848年に富山県で生まれます。
6歳で父を亡くし、養子に出される苦しい生活を送ります。
24歳で上京した浅野は、その後横浜に移り、薪炭・石炭の販売を始めたことが事業家としての転機となりました。
名が知られるようになった浅野は、渋沢栄一と出会い、休業状態になっている官営のセメント工場の払い下げを受け、のちの浅野財閥の基礎を作ります。
そして、海運業にも進出した浅野は、調査をした結果、鶴見を埋め立てすることが1番適していると考え、埋め立てをし、その一体が京浜工業地帯として発展を遂げていくことになりました。
浅野の埋め立ての判断がなければ、今日の京浜工業地帯とは異なる様相を呈していた可能性もあります。
ウォーターフロントとして生まれ変わる京浜工業地帯の横浜市鶴見区の歴史
浅野が基礎を築いた京浜工業地帯ですが、今日ではウォーターフロントが注目を集めています。
工業地帯のど真ん中である横浜市鶴見区は、かつては公害都市としての印象が強くついていました。
しかし、近年は工場に対する規制が強化されたことに加え、緑化運動を進めていることから、暮らしやすい街になっています。
末広地区では、温水プールや「ふれーゆ」というつばさ橋が一望できる大浴場があり、そこへ通じる道沿いには、樹木が生い茂っています。
また、環境問題について学べる「環境エネルギー館」があるほか、「ゲノム化学総合研究センター」や「産学共同研究センター」なども開所しました。
さらに、生麦地区には「キリン横浜ビアビレッジ」があり、ビールについて学べるほか、ビールの製造工程を見学することもできます。
また、大黒地区には、多くの釣り客で賑わう「大黒海づり公園」や横浜港を行き交う船、さらには富士山を望める「スカイウォーク」など、さまざまな施設が置かれています。
今後も発展を遂げていく横浜市鶴見区のウォーターフロントには目が離せません。
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まとめ
最後までお読みいただきありがとうございました。
浅野総一郎が生んだ京浜工業地帯に位置する横浜市鶴見区。
工業地帯のど真ん中にありながら、ウォーターフロントは緑地化が進み、とても暮らしやすくなっています。
今後の発展にも注目です。
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